「ポケモン ≒ 将棋」という認識について
先日、ポケモンe-sports化の記事を見ていてこのような文章が目に留まった。
この記事に限らず、Twitterや個人のブログ等で「ポケモン ≒ 将棋」と形容している人がたびたび見受けられる。
そういった文を見るたびに僕は本当にそうだろうかという疑問を抱く節がある。
確かにポケモンを駒と表現するならその駒を動かして勝利を目指していく点は将棋を彷彿とさせるものがある。だが似ている点と言えばそれくらいである。
では反対にポケモンと将棋の違いを大きく分けて2つ挙げていこう。
把握できる情報量の違いについて
将棋は盤面を見ればどちらが有利でどのような打ち方をすれば勝利に近づくか、もっと言えばあと何手で勝ちが確定するかがわかる(当然プロの話であって僕のようなトーシロではさっぱりだが)。
言ってしまえば盤面に見えているものが全てでありそれ以上の情報はない。故に対局中に限って言えば互いの棋士は公平に同じ情報量のもとで戦う。
などといった情報が分からない。
プレイヤー目線で分かる情報が少なすぎるのである。
更に言えばどの情報をどの程度把握できているかはプレイヤーによって差が生まれる。例えば素の素早さが相手のポケモンより速いポケモンにこだわりスカーフを持たせている場合、先制技を考慮しなければ相手のポケモンより確実に先に行動できるという情報をそのポケモンを使う側のプレイヤーは把握できるが逆のプレイヤーはその情報を持ち得ない。
つまり公開されている情報の大小だけでなく、片方のプレイヤーだけが把握できている情報も存在するという点でポケモンと将棋は大きく異なる。
運の要素について
ポケモンはご存知の通り運要素を豊富に含んだ対戦ツールである。
- 技の命中率
- 急所や怯み
- 状態異常, 状態変化
- 特定のステータスの上昇or下降
など上げたらキリがない程だ。
対して将棋においては打ちミスのような人為的ミスによる運勝ちを除いた場合、土壇場で有利不利がひっくり返るような運要素は存在しない。
間違っても王手の状態で次の番30%の確率で駒を動かせなくなるなんて状況は起こりえない(おい聞いてるかメタグロスさんよお)。
余談だが、匿名掲示板にて運負けしてポケモンから運要素なくせや!という書き込みを見受けられたがそんなことしたらポケモンというコンテンツは一瞬で衰退する。運要素がなくなってしまうと初心者が上級者に絶対に勝つことができなくなってしまうからである。すると上も下も上級者のディストピアのような環境が形成されるのは目に見えている。そうなったコンテンツは長持ちしない。格ゲーなどを見ればよくわかるだろう。
他にも「将棋は自分も相手も同じ駒を使う」であったり「将棋は王を取るのが目的であるのに対してポケモンは全滅させるのが目的」という細かな違いはいくつもあるがあくまでも「ポケモン ≒ 将棋」の話であって「ポケモン = 将棋」ではないのでこれ以上は割愛とする。
ポケモン ≒ ポーカーという見方
これらを踏まえてみると、将棋よりもポーカーの方がポケモンにより近いのではないかと感じている。
例えばテキサスホールデムでの話だが、当然相手のハンドは見えない。
- コミュニティカードとホールハンドの期待値を計算する。限られた情報の中で確率、即ち運要素を考慮しながらコール, レイズ, チェック, フォールドといった行動の選択を行っていく。
- テキサスホールデムは実力7割, 運3割で勝負が決まる世界と言われている。
- バッドビート→ティルト→敗北の流れがポケモンでも頻繁に起こり得る。
自分を律してバッドビートを見抜き、経験からくる予測で正しい決断を繰り返していくゲーム。それがポーカーである。
どうだろうか、ゲームのルールやすることは違っていても本質的な根っこの部分はポケモンと通ずるものがあると思う。
結局のところその人の感性の違いであり、この議論を深めたところで水掛け論になる上、何よりレーティングバトルの実力がつくわけでもないので記事を書いておいてなんだが、ぶっちゃけた話あれやこれや言うのは無意味である。
ただポケモン(レーティングバトル)を知らない人にポケモンの説明をするのであれば、将棋みたいなものと伝えるのはgoodだと思う。駒と駒を戦わせて勝利を目指すというビジョンを一瞬で、そして明確に相手に伝えることができるからである。
知らない人からすれば物の表面的な部分が知りたいのに本質的な部分を伝えられても理解するのは難しいからだ。
何が言いたいかというと最近やったエロゲの影響で始めたポーカーが楽しいよというそういうお話でした。
ではっ!